JICA派遣で恋をしたシリア。「支援なくなればいい」と語る理由とは – Piece of Syria 代表独占インタビュー【シリーズ:中東と私】

戦争によって多くの人が難民となったシリア。しかし、実は10年前まで就学率100%近くを誇り、途上国のイメージからは程遠い生活を送っていた人々の姿がありました。そんなシリアの魅力を伝えたいと、教育支援やイベント企画を行なっているシリア支援団体がPiece of Syria(ホームページはこちら)です。今回は代表の中野さんにお話をお伺いしました。

大人になりたくなかった幼少期

よろしくお願いします!早速ですが、国際協力にはなぜ興味を持つようになったのですか。

戦争や不平等といった社会問題には小学生の時から関心がありました。アフリカの子どもの飢餓の写真を雑誌で目にして、「世界にはご飯を食べられないで死んでしまう子ども達がいる。でも、僕らはご飯を残せる状況にいる。どうしてなんだろう?おかしくない?」と疑問を持っていました。また、もし世界が武器ではなく他のことにお金を使えば、世界中に水や食料、教育や医療が行き渡ることを知って「どうして戦争のためにお金を使うんだろう」と憤りを感じていました。だから、卒業文集に世界を平和にしたい、なんて壮大な夢を書いていたんです。

ですが、子どもの頃は、人と話すのが苦手で、自分のことも嫌いでした。なので、「世界を平和にする」という夢を描いたんですが、どんどん「自分なんて、そんなことできっこない」と思うようになりました。だから受験や就職の時にすごく悩んだんですよね。どんな仕事をしたいのかを考えると不安になったんです。「あれ?サラリーマンってなにをやってるんだろう?」というのが分からなくて。日本で暮らしている中で、すでに便利な毎日を送れているのに、何を売るんだろう?と、その当時は疑問に感じたんです。で、将来の仕事を考えた時に、卒業文集に書いてたことがあったぞ、と。そこで国際協力について学べるような大学を選ぶところから始めました。

中東地域に興味をもったきっかけは?

最初のきっかけは、大学生の時に起こった9.11事件です。戦争やテロはなぜ起こるんだろう?と理由について考えるようになりました。
もうひとつは、実際に中東地域に行ったことは大きかったですね。イギリスに8ヶ月間、留学をしたのですが、クラスメートのトルコ人と仲良くなりました。留学から帰国し、卒業前の最後の夏休みにどこに行こうか悩んだ時に「働き始めたら、長期で休みも取れないし、友達に会いに行こう!」とトルコに行く時に決めました。せっかくそこまで行ったんだからピラミッドも見たいなぁと思ったので、シリア・レバノン・ヨルダンを経由する形で1か月のバックパッカー旅行をしました。

トルコのカッパドキアにて

友人から始まった留学と中東を回る旅

その時期の中東は危なくなかったんですか?

正直、危ないんじゃないかな?って思う気持ちもありました。イラク戦争が始まった後で、すぐ隣の国では日本人の誘拐事件もありました。ですが、僕が行った国々は全く安全で、治安の良さにびっくりしました。

一つ一つの国を個性で見ていなかったな、と実感しましたね。国境を跨ぐと違う世界があることを分かっていませんでした。初めての中東は、とにかく人が親切でご飯が美味しいと感じました。歩いていると声をかけられて、お茶やご飯をご馳走になる、という経験も様々な国でありましたし、仲良くなったと思ったら後でお金を請求してくる人もいました。

エジプトのピラミッドの前で

大学卒業後すぐに国際協力の道に進まれたのですか。

いえ、一般企業に入社しました。仕事終わりや週末の時間を使って、3つのNGOでボランティアを掛け持ちをしたり、国際協力の勉強会に参加するため、大阪と東京を夜行バスで行き来したり、と将来について悩みながら、いつか国際協力を仕事にしたいと、もがいていました。ボランティア先のNGOが、現地調査をする通訳ボランティアを探していると聞いて、仕事を辞めて3日後にフィリピンに飛びました。幸い、仕事を辞める前に受けていた青年海外協力隊に合格しましたが、落ちてたら今頃何をしてるんだろう?と思うので、冒険しましたね。

シリア派遣は希望通りだったのですか。

全く希望していません(笑)。
国際協力=アフリカ、というイメージだったので、アフリカのタンザニアを志望しました。その理由も大学時代にフランス語が難しかったから避けたい、でも英語圏以外の国で語学を磨きたいと、スワヒリ語の国を選びました。そしたら、まさかのアラビア語という世界で一番難しい言語の国になるなんて!シリアが良い国というのは知っていましたが、その点は絶望しました。

シリアにて活動中の一枚。小学校で日本文化を紹介

会社を辞めJICA派遣でシリアへ

現地では何をされていたんですか?

人の家でお茶を飲んでました(笑)
一応、事前に何をするように、というものは渡されまして、そこには「JICA専門家が実施する、母子保健プロジェクトに協力し…」と書いてありました。ですが、実際に現地に行ってから「僕は何をしたら良いの?」と保健局長に尋ねたら「自由にしてくれ」と言われました。

2年間、自由にするってなかなかですよね。でも、僕としてはそうしたいと思っていました。「自分が何をしたいか」よりも「現地の人が何を望んでいるか」の方が大事なので、まずは話を聞かないとと思いましたが、なんせアラビア語が話せないし、文化習慣もわからない。なので、1年間は話を聞くことに専念しようと派遣前から決めていました。

それは難しくなかったのでしょうか?

いえ、これはシリアあるある話なのですが、とにかくおもてなしがすごい!
歩いていると嬉しそうに声をかけられ、お茶を飲んでいきなと言われることばかりで、毎日新しい出会いでいっぱいでした。一軒の家でご飯を食べると「次はうちだ!」と誘われますし、いつの間にやら、お腹が空いたら誰かの家に行くようになりました。

田舎に行くと保守的な文化もあって、未婚の男女が仲良くするのがよくないという風習がある村でも、村中の人が僕のことを知ってくれていたこともあって、若い女性ばかりの10人くらいが集まっているところに出くわして椅子を出され「ねぇねぇ、私たちの中で誰が一番可愛い?」って聞かれたのには困りました(苦笑)。

活動で通っていた村の人と。

「あなたがいたから夢を持てた」少女との出会い

シリアで一番印象に残っているエピソードを教えていただけますか。

僕が通っていた村の少女との出会いですね。ある日、将来の夢を聞いたら「お金持ちになりたい」って言うんですね。理由を尋ねると「お金ってね、天国に持っていけないんだ。だから生きている間にどうやって使うかが大事。私は子ども達の夢を叶える学校を作りたいだ。」って教えてくれました。シリアは就学率は100%近いので、ほとんどの子ども達は学校に行くことができます。

でも、一部の地域では、家の手伝いや学校が遠くて通い続けることが難しくなったり、保守的な習慣で自由に遊べなかったり、という制限もありました。「だからお医者さんになって、夢を応援する学校を作るんだ。そこで学んだ子達が、私みたいになりたいって言って、また別の夢を応援する学校を作ってくれるようになったら嬉しいな」と説明を受け、「めちゃくちゃ素敵!君ならできると思う!」と素直に思ったことを言いました。

本当ですね、すごい!

その後の言葉が今も忘れられないのですが「あなたのおかげでこの夢を持てたんだよ」って言ってくれたんです。何かしたかな、と思って驚いたんですが、「あなたがこの村で活動をして、大人達が変わったのを見たの。だから、動けば変わるって信じられるようになった。それにね、あなたは夢をバカにしないでしょ。私ならできるって言ってくれるでしょ。それで私は夢を持てるようになったの」と理由を教えてくれました。

現地の新聞に載るくらいには活動できたのですが、協力隊として大したことができたという実感はありませんでした。それでも「この女の子との出会いができたことで、シリアが、ひょっとしたら世界が変わるかもしれない」と思えることは、一つの活動の成果なのかもしれませんね。

村の少女との写真

シリア内戦勃発、2年半で10カ国を巡ることに

素敵なエピソードですね。シリアから帰国された後はどのようにお過ごしでしたか。

2年間の活動を終えた1年後の2011年に、シリアで戦争が始まりました。
ですが、すぐ終わると思ったので、「戦争が落ち着いたら行こう」と考えていたら何年経っても終わらず、それどころかどんどん戦闘が激しく、そして色んな国が絡んで複雑になっていきました。「あんなに平和で豊かなシリアのこととは思えない…」とニュースを見るたびに違和感が膨らんでいきました。

自分の目で確かめたい、と思い、シリアは危険すぎて入れなかったので、2015年からシリア周辺の中東の国と欧州で、難民となったシリアの人たちや支援団体を尋ねて周りました。平和な頃のシリアの田舎に住み、戦争開始後にシリアの人たちを訪ねて10カ国を周った日本人はいなかったので、講演活動や写真展で「シリアの今と昔を伝える」ということから始めました。

ヨルダンのザータリ難民キャンプ近くの街にて

Piece of Syria立ち上げへ。

それが「Piece of Syria」立ち上げのきっかけになったのですね。初めの頃はどうでしたか。

伝えていくうちに、「是非シリアの応援をしたいんだけど、どうしたらいいの?」と聞かれることが増えていきました。正直、僕が訪問したシリアの活動をしている団体はどこも素晴らしく、どこに寄付をしても大丈夫ですよとは話していたのですが、自分自身でも支援活動を始めることも考えました。

と言うのは、どこからも支援が届いておらず、教育を受けられない子ども達がいると調査の中で聞いていたからです。まだクラウドファンディングという言葉も一般的ではない時代でしたし、不安でいっぱいでしたが、初挑戦で100万円を超えるご支援をいただき、2016年に100人の子ども達に教育を届けることができました。

現在「Piece of Syria」ではどのようなことをされているのですか。

残念ながら戦争から10年経った今もシリアの戦争は終わっていません。それどころか、経済制裁の影響で物価の高騰したり、長引く戦争でシリアへの支援は減少傾向です。そこで私たちは、どこからも支援が届かない場所に教育を届ける、という活動を継続しています。

具体的には、シリア北部の国内避難民が集まっている地域で幼稚園・小学校の運営をしています。支援がない場所では先生達の給料が出ておらず、そのままでは先生達は家族を養うために他の仕事をしてしまい、学校が閉鎖の危機に陥ります。継続的に先生の給与を届けることで、「今日の家族のご飯をどうしよう」と悩むのではなく「明日どんな授業をしよう」と考えることができるようになり、教育の質も上がります。

現在、2021年10月29日までクラウドファンディングを実施中です!一人でも多くの子ども達に教育を届けるために、こちらから皆さんのご協力をお待ちしています。

活動先の幼稚園の様子

Piece of Syriaなくなればいい?シリアへの思い

今後も活動を続けるにあたって、目標などはありますか。

「シリアをまた行きたい国にする」ことがPiece of Syriaの目標です。なので、かわいそうだから、ではなく好きだから、行ってみたい国だから、応援したい!と感じてもらえるような情報発信を大切にしています。

また、教育支援が大切なのは、未来の平和を創っていく人材こそが今の子ども達だからです。いつか支援した生徒達が実現した平和なシリアに行ける日のために活動を続けています。

そしていつか、「支援する団体」としてのPiece of Syriaがなくなると良いなぁって思っています。

それは意外です…!

戦争前のシリアは本当に素敵な国でした。ですが、シリア=「戦争」「難民」といったイメージを持っている方は多いのではないでしょうか?きっかけはそれで良いかもしれません。でも、僕たちの団体のイベントに触れてもらうことで、好きだから応援したい!って思ってもらえる人が増えたら嬉しいですね。

今はコロナで旅をすることも難しいですが、旅が自由にできるようになった時に、平和になったシリアが「魅力的だから行ってみたい」って思ってもらえるような魅力を発信し続けていきます。
イベントはオンラインで定期的にやっていますので是非、こちらから参加してみてください。

日本全国で写真展・報告会を実施しました(現在はオンラインのみ)

確かに、寄付を集めていると「かわいそう」がアピールされてもおかしくないですもんね。

お世話になったシリアの人たちが「かわいそう」って思われるのが嫌だった、というのは大きいですね。難民となったシリアの人たちを訪ねた時も、難民キャンプの中でご飯をご馳走になったり、コーヒーに誘われました。孤児院のスタッフで自身も家族と離れて生活しているのに、誕生日のサプライズのケーキを準備してくれたことも。レストランに連れて行ってくれたので、こっそり会計を済ませたら「君はゲストなんだから!」と怒られて、レジで値段を聞いてお金を返されたりしました。

シリア滞在中、絵になるアンティークな車があったので写真を撮ったら、一緒にいた友達に「そんなものを撮らずに新しいものをシリアの人たちへの尊敬と感謝が僕の活動の原動力です。Piece of Syriaは小さな団体ではありますが、どこからも届いていない分野のことをできていると感じています。
団体名のPieceも、一人ひとりの力は小さくとも、パズルのピースのように力を合わせて、平和(Peace)を実現する大きな力となることを信じてつけています。

現地パートナーNGO代表のウサマと。

中野さんのお話、いかがでしたでしょうか。このお話をきっかけに、少しでも中東に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば幸いです。もっと中東のことを知りたくなってきた!という方は、是非MENA watchのインスタグラムツイッターをフォローお願いします。また、「自分も中東との関わりを記事にして伝えたい」という方は是非MENA watchウェブサイトのお問い合わせページ、もしくはインスタグラムかTwitterのDMにてお知らせください。

「中東と私」シリーズはこれからまだまだ続く予定です。どうぞお楽しみに!