パレスチナ問題に向き合うSHIRORU。メンバーに聞いた、立ち上げの経緯やパレスチナへの想い【シリーズ:中東と私】

中東と深い関わりを持つ方々に、自身の体験について語っていただくMENA watchの記事シリーズ、中東と私。今回は、京都大学と同志社大学の学生が運営するパレスチナ支援団体、SHIRORUの立ち上げメンバーであり、京都大学文学部2年に所属する齊藤ゆずかさん寄稿していただきました。高校2年生の時にパレスチナについての講演会に参加して以来、「知ったからには行動に変えなければ」という思いで団体を立ち上げられたそうです。率直で心に響く文章、是非ご一読ください。

きっかけは友達のおばあちゃんのお医者さん。パレスチナとの出会い

 わたしがパレスチナのことを知ったのは3年前。高校2年生の秋で、当時は札幌に住んでいた。

 帰り道だった地下鉄のホームで友人に、「今度ばあちゃんの行ってる病院のお医者さんが講演会やるんだけど、一緒に行かない?」と言われたことを覚えている。差し出された白黒のポスターを見て、パレスチナって聞いたことないし、こういう講演会に参加する若い人ってあまりいないんだろうなと思った。しぶしぶ参加を決めて当日、小さな会議室には30人くらいの人がいたけれど、案の定高校生はわたしとその友人だけだった。

 ひとりの男性が前に立って話し始めた。北海道パレスチナ医療奉仕団の団長・猫塚義夫医師。札幌で整形外科医として働きながら、10年以上パレスチナに赴いての医療支援や子ども支援を行っている。団体には看護師や作業療法士、教師、弁護士など様々な職業の大人たちが所属していた。

 猫塚先生はスライドでガザ地区の写真を見せ、人の出入りの困難さ、衛生状態や生活実態の過酷さを語った。電気が1日数時間しか使えない、それがもう10年以上続いているという。貧困も失業も、薬物や自殺が蔓延る社会も人為的に作り出されたものだった。ガザ地区の周りを囲む壁と監視のイスラエル兵。「軍事占領」とはどういうことか。解放のためのデモで撃たれた脚の写真が写った時には息が止まり、目をそむけたくなった。

 猫塚先生は向き合ってきたガザの人々、そのひとりひとりがもっている希望をかなえたいのだという。折り紙を楽しむ子ども。リハビリを受ける若者と見守る家族。問題は大きいし、解決のために自分たちができることがあるかわからない。でも、そこに生きている人たちがいるかぎり彼らの「希望」があって、かなえるためにできることがある。

知ることから始まったパレスチナ問題。ついに行動へ

 「まず知ること」と先生は言ったし、わたしも講演を聞くまで関心を向けたことがなかったので、知って関心をもつことが大事だとはよくわかった。ただそのうえで、知って何もしないままでいたら、彼ら―パレスチナの人々―はどう思うだろう、と思った。わたしは彼らの前に立てるだろうか。どんな顔をしていられるだろうか。知ってしまった以上は、何かしなければ、と強く思った。

 大学に入って、オンラインの授業にも慣れたころ、あるリレー講義で、アラブ文学やパレスチナ問題を研究している岡真理先生の担当回があった。何かしなきゃ、を行動に変えるときが来たと思った。授業資料に使われていた『ガザに地下鉄が走る日』を読み終えたわたしは、友人に電話で話をした。講演会に誘ってくれたあの友人は同志社大学に通っていた。

メンバーが在籍する京都大学と同志社大学の写真

 「オンラインで講演会をしよう」

 かつてわたしは、猫塚先生の言葉に心を動かされた。その輪を広げられないだろうか。直接現地の人に何かできる技術もお金ももっていないけれど、大学から提供されたzoomのアカウントならある。京都の大学生に、札幌の先生のお話を届けることができる。

 京都大学と同志社大学で、一緒に運営してくれる仲間を探した。同じ授業を受けていた人、過去にオンラインのイベントで知り合った人にLINEなどをして誘った。直接会ったことのない人がほとんどだったが、わたしを入れて12人が集まった。もともとパレスチナに関心のあった人はおそらくいないのではないかなと思う。それでも集まってくれたメンバーは、わたしの気持ちを後押ししてくれた。

 猫塚先生も登壇を快諾してくださった。難民問題やパレスチナ問題の勉強から始まり、講演会の流れを考え、ポスターや申し込みフォームを作った。人のつながりに恵まれ、岡先生、パレスチナからの留学生にもゲストで来てもらえることになった。初めてのことで時間がかかったけれど、夏から準備をして、10月に本番を迎えた。およそ70名の参加者があらゆる地域から画面上に集まった。そして、みんなで話を聞いて、パレスチナのことを考えた。驚くことばかりだった人も、何かしたいと思った人もいた。遠くの国の人を、ひとりひとりの人間として感じてほしい。わたしたちの思いが形になった。

 「シロウトする」チーム結成

 わたしたちはそれから、SHIRORU(しろる)というチームになった。開いた講演会のタイトル「シロウトする」からとった名前だ。知識も経験もない【素人】であるわたしたちも【知ろうと】することで何かができるかもしれないという意味がこめられている。

毎週水曜日の夜に行っているチームミーティングの様子

 SHIRORUとしての最初の企画は、ガザ出身の同志社大生の紹介でつながった、ガザ地区の大学生との交流会だった。「ガザの壁を越える」と題したこの企画では、参加した大学生・高校生が英語で互いの国の食べ物やアニメなどの話をして、ガザを囲む高くて硬い壁すらも、インターネットはやすやすと超えていくことを実感した。ガザの大学生たちと話していると、彼らに「パレスチナ問題」「難民」などとラベルを貼り付けておくことが、彼らを遠ざけて見ないふりをすることに繋がってしまっているのだとよくわかる。占領さえなければ、彼らはたくさんの夢をかなえる力をもっている。占領さえなければ、彼らと友人になるチャンスは世界中に存在するはずだ。

 そう思っていた矢先、今年の5月に、パレスチナとイスラエルの間で大規模な「衝突」があった。経緯についてここでは詳述できないが、アル=アクサ=モスクへのイスラエル兵の襲撃の様子は全世界に動画が流れ、パレスチナへの連帯を呼び掛けるデモが行われた。わたしたちは日本でニュースになる少し前に、SNSの投稿がきっかけで状況を知り、情報を集めてはシェアした。生々しい傷、空爆で上がる炎、積みあがる瓦礫、遺体の写真もあった。見たくないものをたくさん見た。人が人をここまで傷つけることができるのか、と思った。巨大な力に蹂躙されたのは、小さな希望を求めて生きてきた人々や子供たちの命と心だった。

 それが正しく伝わらない、報道されない日本の状況にも直面した。現在進行形で起こっていることに関与するのは怖いことでもあったけれど、メンバーで話をして、動くことを決めた。まずSNSでの情報発信として、中東メディア・アルジャジーラの英語版記事を和訳し、TwitterとFacebookに投稿した。チーム内での情報共有をもとに、小規模の勉強会も開催した。現地の声を届けるzoomイベント、岡先生の講演会、猫塚先生の講演会。6月までに大きなイベントを3つ終えることは大変だった。でも途中で停戦合意があって、報道が減り、それでも現地ではイスラエル兵による逮捕や空爆が続いている状況に、なんとかして石を投げたかった。

 受け取ったバトン、握ったままで

 こうしたニュースがあると、パレスチナ問題に関わることがすごくハードルが高いことのように思われてしまう。家族に、そんな危険な地域に関わるのはやめて、国内の問題に目を向けてほしいと言われたこともある。でもわたしの出発点は、3年前にスライドに映った子どもたちのまなざしにある。いつか彼らの前に、笑顔で立てる自分になりたい。

 そして、この1年の間に出会って一緒に活動してきた仲間たち、繋がれた人たちは、本当に魅力的だ。SHIRORUではいま、フリーペーパーの作成や、パレスチナの子どもたちとアートを通してつながる企画を話し合っている。取り組んでいる人が限られているからこそ、輪の広げ方も、きっかけの作り方もたくさんあると思う。

 これからも迷うだろうし、厳しい現実を目の前にすることもあるだろう。それでも関わり続けたい。受け取ったバトンは握ったままで、たくさんの人と手を繋いでゆきたい。


 齊藤さんのお話、いかがでしたでしょうか。このお話をきっかけに、少しでも中東に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば幸いです。もっと中東のことを知りたくなってきた!という方は、是非MENA watchのインスタグラムツイッターをフォローお願いします。また、「自分も中東との関わりを記事にして伝えたい」という方は是非MENA watchウェブサイトのお問い合わせページ、もしくはインスタグラムかTwitterのDMにてお知らせください。

「中東と私」シリーズはこれからまだまだ続く予定です。どうぞお楽しみに!