初めは一大学生。パレスチナに足を踏み入れ、現地の人と共に歩んでいくまで【シリーズ:中東と私】

 中東なんて自分から遠い…特に地理的にも政治的にもあまり関わりのない私たち日本人からすると、中東と自分を結びつけ中東なんて自分から遠い…と思っている方にも、何か繋がりを感じていただけるよう願いをこめてお送りするシリーズ、中東と私。今回は、パレスチナのオリーブオイル・スパイス・雑貨を扱うフェアトレードショップZAHARAを運営する井上さんにお話をお伺いしました!高校生の時にパレスチナ自治区への興味を育み、大学生の時現地スタディーツアーに参加、パレスチナの方々の温かさに触れ、共に生きていきたいと思うようになったという井上さん。一体どのような出会いや経験があったのでしょうか。

 きっかけは大学の教授の誘い。初めてのパレスチナへ。

 私が初めてパレスチナ自治区に足を踏み入れたのは今から15年前の2006年まで遡ります。それまでずっと行きたいと思いつつ恐怖心や周りの反対等で一歩を踏み出せないでいました。そんな状況を一変してくれたのは、当時通っていた大学のある教授の誘いだったのです。

「パレスチナのスタディーツアーを企画しているんだけれど、よかったら参加しない?」

私に迷いはありませんでした。「行きたいです!!」…実際は、ここから両親との攻防がしばらく続くことになりました。

 私がそもそもパレスチナ自治区という中東の小さな小さな地域(パレスチナを占領しているイスラエルと合わせても日本の四国程度の大きさです)に興味を持ったのかというと、更に2001年まで遡ります。

 当時高校生だった私は、アメリカ合衆国のアイダホ州に交換留学生として1年間滞在していました。英語が好きだったので、英文学部や英語学科に進学するべく選んだ留学でした。その留学から帰国した3か月後の2001年9月11日にアメリカで同時多発爆発事件が起きました。急にテレビの映像が変わり凄惨な現場を理解するのに時間がかかりました。映画を見ているんじゃないか、と思い込んだほどでした。

 そこから日々報道を見るに従い、疑問が生まれてきました。なぜ、アメリカは狙われたのか。過去に何かしてはいないか。この疑問からアフガニスタンをはじめ中東地域への興味が生まれました。そして、様々な問題が最も複雑に絡み合っていると感じた場所がパレスチナでした。「そこでなにが起きているのかを自分で確かめたい」と思ったのがパレスチナへの興味のきっかけとなりました。

心配する両親との攻防。背中を押してくれたのは祖母の一言

 とはいえ、戦地に行くほど覚悟も勇気もなかった私に両親を説得することは難しく、途方に暮れていました。そんな時、祖母が「難民キャンプに行って人々の暮らしをみてきなさい」と私の背中を押してくれました。両親も祖母がそこまで言うなら、、、と納得こそしないものの力づくで止めるようなことはしなくなりました。

 パレスチナに行ける!と同時に戦地に赴くという緊張もあり、出発前に念のため遺書を書きました。当時は「自己責任論」というものが日本社会にまん延しており(今もですね)万が一があった時に家族に迷惑はかけたくない、というせめてもの思いから書いたものでした。これは帰国後に破り捨て、そこから今まで書いてません(笑)

 緊張の旅路を抜けてエルサレムについた時、街の雰囲気を生で味わった私は拍子抜けしました。ニュースで見ていたようなタイヤが燃える場面や女性が涙を流しながら空を仰ぐなんて景色もどこにもありません。(自爆通りという名前の通りはありました)そこには人々の暮らしがあり、子どもたちの声や自動車のクラクション、町中に音楽があふれ、ちょっとスパイスの香が漂うというただただ魅力的な地がそこにありました。

ヨルダン川西岸地区のとある村

 いざ、パレスチナへ。現地で体感した苦悩と、とある決意

 とはいえ、スタディーツアーで訪れていたので、もちろん難民キャンプや悪名高い「分離壁」と呼ばれるコンクリートの壁やイスラエルによる占領によって、パレスチナがどのような状況に置かれているのか、といったことはしっかりと学ばせていただきました。

 理不尽という言葉では表せない苦悩や悲しみがあるにもかかわらず、人々は笑う。とても強い人たちなんだと感じました。また、彼らは自分たちが経済的に満足していなくても旅人には最高のもてなしをしてくれます。そんな恩が積もり積もって、私はいつしかパレスチナの人と一緒に生きていきたいと感じるようになっていました。

 どうやって一緒に生きていくかを考えたときに、心に浮かんだ言葉がありました。

長年通ってようやく話してくれた本音だと思いますが、「正直なところ、現金がないんだ。稼ぎたくても稼げない。パレスチナでは予定が組めない。(イスラエルによる占領政策の一環です)経済が崩壊しているんだ。だからみんな現金収入が足りなくて困っているんだ。」と話してくれたのです。だったら私は現金収入の手段になりたい。そこから経済協力パートナーになるべく道を模索し始めました。

「収入源になりたい」ZAHARA立ち上げへ

 2014年に設立したZAHARAはそんな思いが込められているフェアトレードショップです。個人で運営しているため、毎年の輸入量は決して多いとは言えません。それでも、私自身がリスクを背負うことで自分も相手も責任を全うすることができると信じています。

 パレスチナの国樹でもあるオリーブは至る所で栽培されていて、まさに発祥地でもあるのに日本ではまったく知られていません。パレスチナの高品質なオイルの味を知らないのは、とてももったいないことだと思います。オリーブはパレスチナだけでなくシリアやレバノン、ヨルダン辺りが発祥地とされているのでこの地域の食文化にオリーブやオリーブオイルは欠かせません。健康的でおいしい食文化がこの地域にはあるのです。伝統的な刺繍や民族舞踊(Dabkeh)もとても魅力的です。インターネットでも観ることができるのでぜひ検索してみてください。きっと新しい発見ができると思います。

おもてなしを受けた時にいただいた、葡萄の葉の巻物(ワラアイナブ)とお肉と野菜が入った壺を土の中で温めるパレスチナの伝統料理。

 高校生の頃の私はまさか自分が中東地域とかかわる人生を歩むとは微塵にも思っていませんでした。今でもたまに不思議な気分になったりもします。ですが、関わることが出来たこと、支えてくれる仲間に感謝し、これからもパレスチナと共に歩んでいけたらと思います。


井上さんのお話、いかがでしたでしょうか。このお話をきっかけに、少しでも中東に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば幸いです。もっと中東のことを知りたくなってきた!という方は、是非MENA watchのインスタグラムツイッターをフォローお願いします。また、「自分も中東との関わりを記事にして伝えたい」という方は是非MENA watchウェブサイトのお問い合わせページ、もしくはインスタグラムかTwitterのDMにてお知らせください。
「中東と私」シリーズはこれからまだまだ続く予定です。どうぞお楽しみに!